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2006年 02月 12日

忘れていた歌_e0006692_2153087.jpg どうしても思い出せない歌があった。高石ともやとナターシャセブンの歌だ。水害で浸かって捨てたLPの中に入っていた。歌詞もメロディも、歌の題さえも思い出せない。それでも、「私に人生といえるものがあるなら」と、「柳の木の下に」と、もう一つ、カーター・ファミリーを訳した歌でよく歌っていた歌があるはずだ。気になって仕方がなかった。

 考えてみると、LPは捨てなくてもよかったかも知れない。ジャケットはダメでも盤は洗えば聴けただろう。それは捨てる時も思ったけど、泥水にまみれた盤を見たらそんな気にはなれなかった。でも今思い返すと、中古で集めた「107 SONGBOOKシリーズ」などの貴重な音源があった。

 その歌を、インターネットを使って今日やっと見つけた。「今宵恋に泣く」という題だった。歌詞を見たら確かにそうだ。でもそんなくさい題名だったっけ。最近の物忘れの激しさには自分でもちょっと恐くなる。教えてくれたのは、このページだ。高石ともやが訳詞しているという歌詞は、こんな歌詞だった。

 この世であなたと私 会わなけりゃよかったの 
 愛し合った昔を 私は忘れないの

 今夜もあなたのことを 思い出しています
 遠い街であなたは 私を思うかしら

 題名も演歌みたいだが、歌詞もまるで演歌だ。ところがメロディは異様に明るい。ドミソ、ファラドの世界である。アメリカ民謡にはこんな感じの歌が多い。ぼくは勝手に「アメリカ演歌」と呼んでいる。スイカに塩をかけたように、悲しさと明るさのコントラストが、独特の雰囲気を作り出す。演歌もそうであるように、曲の作りもいたってシンプルである。8小節しかない。短くても簡単でも、いい歌はいいものだ。

 この歌であと2つ印象的なことがある。ハ長調で言えば「ソソソードレミーファミレーラー」という歌い出しの「レーラー」という部分が、Fになっている。こういうカントリー調はだいたいC・F・G7でほとんど間に合うのだが、Dmを思わせるメロディでもやはり「F」。そこがなんとも言えずいい。もう一つは、メロディの跳躍。「ララソーファレソファミレドー」という最後のところで、レから低いソにぐっと落ちて、またオクターブ近く高いファに上がるところが好きだ。調べてみたら、原曲(I'm Thinking Tonight of My Blue Eyes)はちょっと違っているけど、ナターシャセブンの歌い回しの方がいい。シンプルな歌に深みを与えていると思う。

 メロディの跳躍と言えばぼくは「白銀の糸」というアメリカの歌を思い浮かべる。それから、スピッツの「ハチミツ」の歌い出しの激しい上下動。ぼくも自作曲「美しい十月」で「うつくしい~じゅうがつ~」というところに意識してメロディの跳躍を使った。

 ともあれ、好きな歌を思い出してうれしい。今日はこの歌ばかり歌っていた。

by pororompa | 2006-02-12 22:49 | こころの糧 | Comments(0)