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semスキン用のアイコン01 <   2008年 02月 ( 4 )   > この月の画像一覧 semスキン用のアイコン02

  

semスキン用のアイコン01 【音盤的日々 157】 ART PEPPER / WINTER MOON semスキン用のアイコン02

  

2008年 02月 23日

e0006692_1046575.jpg 春の訪れが遅い。例年は今頃、花粉症を気にしだしている頃だが、今年は冬が長引いている気がする。

 風邪をひいて寝込んだために、仕事も滞り、学級にも目が行き届かなくて、つらい日が続いた。ようやく体調も戻り、穏やかな休日を迎えている。朝からどんよりとしていたのでこのアルバム・タイトルを連想した。今は薄日が差してきている。風も激しい。春の嵐だ。今日あたりから花粉も本格的になるのかもしれない。

 このアルバムはウィズ・ストリングスの名盤と言えるのではないかと思う。ストリングス物によくあるような甘さはあまり無い。むしろ淋しさに満ちたアルバムだ。「ウィンター・ムーン」というタイトルはよく付けたものだ。アルバムの雰囲気にぴったり合っている。特に1曲目の「Our Song」が、出だしから「こういうアルバムだ」と宣言するように鳴り響く。

 ずっと前、正月休みに、このアルバムをヘッドフォンで聴きながら近所を歩き回ったことがあった。風景が違って見えた。アルバム全体が一つの雰囲気を色濃く持っているアルバムがあるが、これなんかがそうだ。これでなくてはいけないという雰囲気を持ったアルバムは、手放せない。

 甘さが少ないのは、編曲がジャズメンだからではないかと思う。ペッパーも、復帰直後は首をひねるような演奏もあったが、ここでは快調だ。

 気分や体調が落ちている時には、陰りのある音楽を聴いた方が、気分がよくなる。今日のような日にこのアルバムは合っていた。
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by pororompa | 2008-02-23 10:44 | 音盤的日々 | Trackback | Comments(2)

semスキン用のアイコン01 風邪顛末記 semスキン用のアイコン02

  

2008年 02月 13日

初日(日曜日)
 久しぶりに39度の熱を出してしまった。前回はダルな書き込みだったが、それもそのはず熱の出る前触れだったのだ。目が覚めると体が重くて頭痛がする。まずいね。どうしてもやっておかなくてはならん仕事がある。昼頃から熱が上がり始めてとうとう39度になった。指導案を何とか書き上げて、「待てよ、これあさってまでに治らんかったら意味無いよな」と思ったが、「もうどうでもいい、とにかく寝よう」と横になった。
 ところが妙に眠れず何度も目が覚める。寒気を感じたり、逆に暑苦しかったりする。

2日目(月曜日 祭日)
 一夜明けると熱は37度まで下がっている。インフルエンザではなくてただの風邪なのだろう。熱は下がっても、頭はぼうっとして、立ち上がるとふらふらする。今日は連休の最終日だ。翌日出勤できそうになったからには、残った仕事をやっておかなければならない。
 36度台まで下がったので、この時点でほぼ治った思ったが、花粉症の薬をもらいがてら診てもらおうとK病院Oクリニックに行く。ところがなんとOクリニックが休み!。電話して確かめたはずなのに、と思ったが、どうやら間違えてK病院の方に電話していたようだ。そちらまで回る気力が出ず、帰宅する。
 夕方熱を測ると37度台。まだ治りきってはいないようだ。しかし明日は出勤できそうだから残った仕事に励む。健康な時より仕事したかもしれない。
 風呂に入った時寒気を感じた。熱くしても、その中で震えが来る。その晩が一番苦しかった。とにかく一時間おきぐらいに目が覚める。みかんを食べたりジュースを飲んだりして横になる。熱を測るとまた39度だ。アイター、治ってなかったのかー。

3日目(火曜日)
 目が覚めると38度。休むのが正しい。何があっても思い切り休むのが正しいのだと、今ははっきりそう言える。しかしその時は思った。今日は中学校教師に授業を見せなくてはならないのだ。授業者が欠席しては混乱するだろう。それに、来週予定している老人ホーム訪問の準備もある。たまたま休みだった妻に頼んで3校時から出勤した。
 出勤して体温を測ると37度台だ。やれないことはない。しかし子どもたち37人を相手にするというのは、こうやって病気になるとなかなか大変なことなんだなと気付く。中途半端だ。子どもたちはその中途半端を許してはくれない。近寄ってくる子にうつしてしまうのも恐い。来た意味がなかったような2時間が流れた。
 給食はほとんど食えなかった。そう言えば昨日も焼きそばが食えなかった。病気だということは食欲でも感じる。
 午後からは調子が出て、問題の研究授業はスムーズに展開した。普段よりいいかもしれない。風邪の日に快演を残すジャズメンやいいプレイをするサッカー選手もいるよな。授業は俳句の句会を授業化したものだ。ところが見に来る教師が皆外から眺めているばかりで中に入ってこない。これは授業する方から見ると失礼な感じがする。途中から人も増え、中にも入ってくるようになったが、事後の交流会の中でも授業に対する質問や感想は出ない。出るのは「前髪が長すぎる」とか「あいさつをしているか」とかいう話ばかりで、同じ教師と言いながらぼくと関心傾向が大きく隔たっている人が多いのだということに改めて気付かされるだけだった。
 この時点でハッとぼくは悟った。来たことは間違いだった。授業者は自分だけではなく3人いたのだから、自分だけを見に来るわけではない。自分が思っているほどこの場で自分の存在が重要だった訳ではないのだ。そもそも初日に高熱が出た時点で指導案を書いたこと、そこから間違いだったのだ。
 帰宅して熱を測るとまたも38度。ちょっと気味が悪くなってきた。8時半に布団に潜り込む。

e0006692_2013252.jpg 4日目(水曜日)
 久しぶりに熟睡した。今日は専科が2時間あることでもあるし、思いきって休む。やっとOクリニックへ行く。
 花粉症はいつもの薬ということでそこそこに、「風邪かインフルエンザか」という判定をしてもらった。「インフルエンザではない」という判定だった。この判定というのを初めて受けたが、細い針金のようなものを鼻の奥に差し込んで鼻水を採取する。「痛いですのでがまんしてください」と言う通り、ほんとに痛かった。治りかけている病気の判定も間が抜けているが、昨日も出勤して気になっていたのでほっとする。
 さて、医者は風邪の薬も五日分出すという。治りかけているのに変だとは思ったが、医者の言うことなのでそのまま聞いていた。
 金を払う段になって急に不安になった。治療費を払うと財布の中は5000円を切っている。これ足りるのか?。確か去年花粉症だけで3000円以上かかったような記憶がある。薬局で相談するとやはり足りないようだ。「この風邪薬についてはもういいので花粉症の薬だけいただけますか?」と聞くが、医師に相談しなければだめだという。医師もOKしない。自分が金を出して買う物を自分が決められない。買わないということもできない。何か変だよなと思いながら金を取りに帰った。
 それにしても、あんまり病院に行かないから詳しく知らなかったけど、2割負担じゃなくて3割負担なのね。何か花粉症の薬も高くなったなと思ってたよ。今頃気付いてどうするって感じだが、これじゃ貧しい人おちおち病院に行けんよな。何のための保険だよ。
 調べてみると1984年に1割負担が導入され、1997年に2割負担、2003年に3割負担と増えている。払う方は2倍、3倍となっていったわけだ。このまま4割、5割となっていったらどうなるんだ?。恐いね。
 とまあ、長文のごたくが書けるまで快復したわけだが、いろいろなことを思った風邪騒動だった。

日本でも、窓口負担『ゼロ』は可能

by pororompa | 2008-02-13 20:53 | 日常雑事 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 【音盤的日々 156】 DEXTER GORDON / GETTIN' AROUND semスキン用のアイコン02

  

2008年 02月 10日

e0006692_151962.jpg 夜更かしをしてしまった。もう寝るかな。最近溜めている仕事が気になって休日が楽しめない。金曜日に疲れ果てて早寝し、土曜日は教育関係の会議を主催したり、催しに参加したりして、夕方になってようやく緊張を解きながらインターネットを眺める。そのまま何となくずるずると起きているというパターンだ。

 そう言えば先週届いた3枚の中でまだ聴いてない盤があったな。一番後になったのは自分でもあまり期待していないのかな。そう思いながら昼間に大きな音でかけてみた。デクスター・ゴードン。これでこの人も3枚目になった。前の2枚がそこそこよかったから買ってみた。若い頃気付かなかったこの人の味わいに、ようやく今頃になって気が付いたというところだ。

 最近のブログを読み返してみると、ウクレレを買ったり、ギターが欲しくなったり、ジャズが聴きたくなったりと、好みが不安定で何か分裂気味だ。若い頃はなかったことだ。その分どれに対しても思い入れは浅くて、どれだって満足はしていない。

 いくぶんゆったりとしたテンポで、「黒いオルフェ」が鳴り出した。ジャズの音で部屋が染まる。前から思っていたが、この「RVG エディション」というシリーズからは、どれも濃いジャズの響きが期待に違わず出てくる。癒しというならそうかもしれない。癒される響きが薬のように体をいたわる。バラードがまたいいではないか。濃くて甘くて苦い。

 ボビー・ハッチャーソンなんて人が参加している。ミルト・ジャクソンじゃないヴァイブを聴くのも珍しい。録音を見るとなるほど、65年だ。このヴァイブの響きが図太いテナーとコントラストを作って、サウンドに彩りを与えている。

 長く聴きそうだ。期待以上の作品だった。

 さて、灯油も切れたし、くしゃみも咳も出てきたことだ。もう寝よう。明日は花粉症の薬でももらいに行こうか。そういう季節になった。
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by pororompa | 2008-02-10 02:27 | 音盤的日々 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 ギターは弾いて買うもの semスキン用のアイコン02

  

2008年 02月 03日

e0006692_17265441.jpg 郊外のショッピング・モールに用があって行ったついでに、楽器店を覗いた。思えばこの頃インターネットで物を買うことが多くなり、地元の店で物を買うことが減っている。インターネットを使い始めた頃には、妻がまずそれを買い物に使おうとしたことに驚いたが、今ではそれが当たり前になってしまっている。変わったCDなどを買う時は実に便利なのだが、そこらで買えばすむ物までうっかりネットで買っていることもある。新刊書を売る書店にもめっきり行かなくなった。ぼくのようにあまり金を使わない人間でもそうなのだから、こういう風潮は地元の経済にも少なからず影響を与えていることだろう。

 ネットの影響だけでもないのだろうが、地元の楽器店が店を閉めたり縮小したりしている。そんな中でこのショッピング・モールには東京から量販店が進出してきていた。書店・CD店・楽器店と並んでいるので、いつも自然とその辺りに足が向かう。その日も、特に何かを買おうというあてがあるのではなかった。ましてギターを買おうとかいう考えは全くなかった。

 楽譜やウクレレを眺めて、ギターの所に来た。一通り眺めていると、青年店員が声をかけてきた。店員の立場から見ると、ギターを眺め回している中年男などというのはちょうどいいカモということになるのだろうか。冷やかしでしかない人間に時間と労力を浪費しては商売にならないが、買う気で来ている者ばかり相手にしていても売り上げは伸びていかない。その気でない人間をその気にさせるのが有能な売り手の技ということになる。青年はにこやかに、「弾いてみませんか」と勧めてきた。

 ぼくはその時点で買おうという気はまるでなかったので、その旨を断った上で遠慮がちにではあるが弾いてみることにした。その気になったのは、興味のあった「K・ヤイリ」という国産メーカーのギターがたくさん並んでいたからである。10万クラスのものを二つばかり弾いたが、まずまずという印象であった。娘には、もう少し奮発してこのくらいのを買ってあげてもよかったかなと思った。

e0006692_1620335.jpg 帰ろうとすると、その店員がもう一つしきりに勧めるものがある。20万するエレクトリック・アコースティックだ。値段による音の違いを実感させて、深い世界に引きずり込もうというのもセオリーなのであろう。客としても、大金を出すからにはその違いを実感したい所だ。金に見合う深い感動が得られれば、ぼくのようなケチな人間であっても30万でも50万でも出すのだ。ぼくは青年店員に、「弾いて見せてくれ」と頼んだが、それほどの技がないからと言う。楽器店の店員と言えば、頼みもしないのに延々と弾き続け、一人で無我の境地に入ったりするような困ったやつばかりと思っていたが。しょうがないので試しに弾いてみることにした。

 持った途端「おっ」と思った。青年はしきりに音を勧めるが、音ではなく左手がハッとしたのだ。弾きやすい。手が小さいぼくに、しっくり吸い付いてくるような感触だ。単に高価だからなのか。いや、知人宅でもっと高価なギターを弾いたが、これほど弾きやすく感じたものはなかった。弾きやすいギターというものは、こんなに気持ちいいものか…。この時点で、「買おうという気はまるでなかった」心に最初の変化が表れている。当然顔に出ただろう。青年は「しめた」と思ったかも知れない。ここぞとばかりに、「いいでしょう。これは特別なんですよ」と言いながら、材質が希少なハカランダであることなどを並べ立てる。しかしぼくは、「弾きやすいギターの快感」に衝撃を受けながら、恥ずかしげもなく弾き語りなど始めていた。自分が「無我の境地」に入ってしまっている。

 我に返って、買いもしないのに弾かせていただき時間を使わせたことを詫びると、「いえいえ、当店は基本的に試奏ができる店ですから」と青年は胸を張る。なるほど、試奏は違いを分からせるいい方法だ。その方が売り上げを伸ばせるに違いない。しかしぼくはここで思うのだった。ネットで読んだあるオーディオ・ショップの経営者の嘆きを。「さんざん自分の店で試聴して、買う時は通販。最近のやつは消費者としてのモラルはないのか」と、彼は嘆いていた。だからこういう店にも、そんなジレンマがあるに違いない。ぼくは、もしこれを買うとしたら必ずここで買うことを告げて帰宅したのだった。

 帰って調べてみると、ぼくが弾いたのはK.ヤイリの輸出用ブランド Alvarez Yairi の「WY-1 BR」のようである。よいギターであり、値段も妥当なことが分かったが、青年店員には悪いけれど、今回は購入は見送ろうと思う。エレアコがどれくらい必要か疑問だし、予算にやや余裕がない。それに、今弾いているマーチン000Mもそれなりに目的を果たしてくれている。

 それでも今回の体験で強く思ったことがある。ギターはやっぱり弾いて買うものだ。あるアメリカのギターメーカーの営業責任者が雑誌で語っていた。「アメリカではギターを買う人は最低5軒は店をまわり、最低30台は試奏する」と。ぼくの住む地方には5軒も楽器店がないが、買うならじっくり弾いて、あわてずよく考えて買おうと思った。

by pororompa | 2008-02-03 17:10 | こころの糧 | Trackback | Comments(0)