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semスキン用のアイコン01 小田和正 / LOOKING BACK 2 semスキン用のアイコン02

  

2006年 11月 27日

e0006692_23214234.jpg 珍しく仕事のことをあまり考えない週末をのんびりと過ごし、ぼくはいつものようにあと30分で寝ようとしている。どこか心が満たされない気分だが、それはよくある日曜の深夜の気分だ。蛍光灯を消して白熱灯を二つ点け、ぬるいワインをついだ。パソコンを眺めすぎたのか、悲しくもないのに涙が出てくる。

 小田和正。本気で歌を作るようになってから、特に自分でアレンジをするようになってから、この人が音楽家として相当優れた人だというのが分かってきた。若い頃、どこか惹かれながらも、気恥ずかしいと思っていた歌が、歳を取って返ってすんなりと聴けるようになった。いやむしろ、時間が経ってみて値打ちが分かるようになってきた。昔、時間が経てばもっと値打ちが分かってくるよと思った歌の中には、無惨に色褪せたものもある。そして軽く見ていたいくつかの歌が消えずに残り、輝きを増しさえした。

 過去の自分の作品をもう一度練り直そうとしたこの作品は、この音楽家の底力がいっそう浮かび出る。相容れない部分もあるけれど、惹かれる部分の方が大きくて、ぼくは歳を取るほどこの人の歌に近づいていっている。歌謡曲。古いアメリカン・フォーク。歌の表面には出てこないけれど、ルーツにはそれがあるという。なるほど。そうだね。

 ぼくの40代も終わろうとしている。もうすぐ50か。目もかすみ、体も確かに衰えた。子どもも巣立った。それでも、この歌を楽しめる自分があることはうれしい。ワインをつぎ足し、目をつぶって聴いていたら、満たされない気分が少し解消した。おお、もう12時か。寝るとしよう。
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by pororompa | 2006-11-27 00:00 | 音盤的日々 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 CDを作る semスキン用のアイコン02

  

2006年 11月 25日

e0006692_19552219.jpg このところ自作CDへの問い合わせが続いて「在庫」が不足していたので、今日はCDを作った。第3集「いいんだよ」を10枚、そして1集の「ぽろろんぱ」と2集の「ごめんね」を5枚ずつ作った。ぼくは「家内制手工業」と半分冗談で呼んでいるが、実際その通りで、歌が生まれた時から、録音、ジャケットまでこの部屋の中で完結している。

 この3枚の中では、一昨年作った第3集が一番気に入っている。時々自分でも車の中でかけたりする。愛着のある盤だ。音楽センター社の「クラスで歌う子どもの歌シリーズ」に採用された「空飛ぶにわとり」と、勤務校の「6月の歌」だった「空は青空」を子どもたちは喜んでくれているし、前任校の全校ダンスにもなっている「おしえてよ あおばずく」も入っている。今回、「環境学習」の発表会で「地球のそうじやさん」を使ったので、何人かの親から問い合わせがあった。今の学校ではまだまだ知られていないし、売り込みが下手だとよく言われるので、もっともっと広げていきたいと思っている。時々広げてくださる方がいて、とてもありがたい。

by pororompa | 2006-11-25 20:20 | 歌が生まれる時 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 スガシカオ / SUGARLESS semスキン用のアイコン02

  

2006年 11月 18日

e0006692_1851790.jpg 寂しい日である。寂しい日は安らぎがある分、悲しい日や多忙な日よりはましだ。外は寂しげな晩秋の雨が降っていて、ぼくは一日中部屋にいた。

 寂しい日には明るくにぎやかな歌はかけない方がいい。寂しい歌をかけて、寂しさの中に浸るのが正しい寂しさの味わい方だ。

 スガシカオ。今ではぼくより家族の方ががファンになってしまったので、この人を持ち込んだのがぼくだったということを家族も忘れているだろう。ぼくと息子が、間の世代のスピッツをともに聴くようになった頃、他に聴くにたえる日本人の歌い手はいないかと探していて、ぼくはこのミュージシャンを知った。息子が気に入ってこのアルバムをかけ続け、妻も気に入って他のアルバムを買い揃えた。ぼくはこのアルバムを越えるものがないと感じて、だんだん興味を失った。

 今、このアルバムを聴き直してみると、そのできのよさに驚く。駄曲がなく、「名盤」と呼んでいい。これがB面集というから、いったい日本のはやり歌であるところの「A面」はどうなっているのだろう。スピッツの「花鳥風月」と同じだ。旬の時期にあるミュージシャンの一番いい部分がここにはある。

 まあ確かにこれは子ども向きの歌ではない。大人向きの歌だ。子どもが幅を利かせている市場では苦しかろう。歌詞も苦い。ひねくれ過ぎていて共感できない表現もある。でもそれは、詞を真面目に書いていて、それを聞き取れる発音で歌っているからであって、この躍動するファンクのうねりの中でそれはやはり凄いことだと思わずにはいられない。

 だるい夕暮れに聞こえてきた祭りのざわめきに父との思い出を辿る「夏祭り」が特に好きだ。大学を失敗して悶々としていた息子の姿とだぶる。寂しい歌が寂しさを癒してくれた。
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by pororompa | 2006-11-18 18:50 | 音盤的日々 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 ある葬儀 semスキン用のアイコン02

  

2006年 11月 11日

e0006692_2072670.jpg ある方の通夜と葬儀で、斎場に泊まり込んでいた。今戻ってきたところである。

 ぼくにとっては直接的な血のつながりはないのだが、お世話になった方であり、また妻にとっては幼い頃からたくさんの思い出を共有してきた大事なおばあちゃんであるので、弔意を示すために一晩泊まったわけである。

 とは言っても97歳の眠るがごとき大往生、理想的な命の終え方であったので、それほど暗さはない。個人に縁のある者どうしが久方ぶりに出会って、通夜の名の通り、夜通し語り明かす展開となった。日常の中に突然持ち込まれた不思議な非日常という感じであった。

 ぼくは、極端なほど親戚の少ない家に育ったので、覚えきれないほどいとこや孫がいる風景は珍しく感じる。普段話すことのない様々な職業や境遇の者が交わす会話は、どれもそれなりに興味深いものであった。ぼく自身は、初めてお会いしたある他県の同業の方と意気投合して4時過ぎまで語り合っていた。これもまた故人が結んだ縁ということで、不謹慎ではなかろうと思う。

 この会場は実母の葬儀の時も使用したそうであるが、どうもあまり覚えてない。別の会場であった昨年の兄の葬儀の方が生々しく残っており、どうしても思い出さずにおれなかった。ただ今回はこういう状況であるので、冷静に葬儀というセレモニーを見つめている目も自分の中にはあった。

 1つには、兄の時は「無宗教でやってくれ」と葬儀社に頼んだことを思い出したからでもある。あの時葬儀社は相当に面食らいながらも、できるだけこちらの意向をくんでやってくれた。それでも、「お葬式の中心は読経であるので、それがない場合はどう進めてよいか難しい」と言っていたのだったが、なるほどそれが無理難題であったことが、今回の葬儀を見るとよく分かる。実に大半はお坊さんの読経であった。演出という言葉は不謹慎にうつるかも知れないが、お香のかおりとともに流れるお坊さんの低い重みのある声、独特の抑揚、そして鉦や太鼓や木魚の音が、その場の雰囲気を支配し、人の一生の終わりの式典にふさわしい厳粛さを作り出した。

 効果音楽をバックに友人や親戚が故人の思い出を語る形で進めた兄の葬儀を思い出しながら、ぼくはこの日のお経を聞いていた。あの日ぼくは兄貴の霊前で笛まで吹いたのだから、相当変わった葬儀であったに違いないし、葬儀社はさぞ困惑したことだろう。

 3人のお坊さんの丁寧な読経が終わり、式もほぼ終わりに近づいた頃、驚くべきことが起こった。故人を偲ぶ効果的な語りとともに、祭壇の遺影が別のものに替わったのである。明るく鮮明な遺影であると感じていたそれは、なんと液晶画面によるデジタルディスプレイだったのだ。さらにまた別の画像に替わり、それが繰り返された。3枚とも、明るく微笑むよい写真で、効果は抜群だった。思わぬハイテクの応用だった。

 式のクライマックスは、棺へのお別れである。「有る程の菊抛げ入れよ棺の中」という漱石の句を思い出した。故人を知るものは泣かずにはおれない。ぼくも大きな菊を遺体に添えて別れを告げた。そして白い鳩の放鳥、長いクラクションの音。上品な余韻の残る出棺であった。

by pororompa | 2006-11-11 21:22 | 日常雑事 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 フォルクローレ・グループ WAYNO コンサート semスキン用のアイコン02

  

2006年 11月 04日

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 友人でフォルクローレ狂いのY君の誘いで、WAYNOのコンサートに行ってきた。

 このグループを聴くのはこれで3度目である。最初は高鍋の古い民家を劇場にした野の花館、2回目は宮崎市内のホールで、それぞれよかった。特に一度目の野の花館は独特の雰囲気で、素朴なこのグループのサウンドとともに強く印象に残った。今回は公民館内のちょっとした体育館のような場所で、しかも親子劇場の主催であったので子どもも多く、コンサート中も室内の照明は明々と照っていて、正直言って音楽を味わうには趣に欠ける設定であった。それでも演奏が始まると彼らの世界にもっていってしまう。しばしインディオの調べに浸った2時間だった。

 特にリーダーのケーナ奏者、ルイス・ビルチェレスが素晴らしい。独特のビブラートがかかった笛の音が鳴り始めるとぞくっとする。また、チャランゴのレイデルの繊細な響きもこのグループの華だ。打楽器はいつも控え目でデリケート、音楽を壊さない。ベースとギターも柔らかく安定している。

 このグループと親交のあるS先生と座っていると、ルイス氏がにこやかに挨拶に来た。ぼくもその隣にいたので握手させていただいた。以前、野の花館で彼らと交流したS先生が、「灰色の瞳」を一緒に歌おうとしたら、彼らはこの曲を知らなかったそうだ。リズムが取りにくそうだったという。その時、「これは誰の曲か」と聴くので、「ウニャ・ラモスだ」と答えると、彼らの目の色が変わったという。今ではそれがレパートリーになっている。今夜もやってくれた。宮崎での交流が縁でこの曲が彼らのレパートリーになり、CDにまでなったことに、驚くと同時に何か誇らしい気分になった。

 アンコールは「コンドルは飛んで行く」と「コーヒー・ルンバ」で、よい雰囲気のままフィナーレを迎えた。大ホールのコンサートもいいが、こんな素朴で繊細な音楽を目の前で聴けることは、大変贅沢なことであると思った。

by pororompa | 2006-11-04 00:00 | こころの糧 | Trackback | Comments(2)

semスキン用のアイコン01 クラシック・ギター semスキン用のアイコン02

  

2006年 11月 03日

e0006692_13301758.jpg ナイロン弦の響きもいいものだ。いつか高いギターを買おうと思っていたが、いつになるか分からないし、元々そんなにうまくもないので、手頃な中古を買い求めた。茶位幸信、No.10。ケース込みで定価10万の物らしい。ヤフー・オークションで33500円で落札。

 クラシック・ギターのまともな物は、個人の製作家名がついた手工品がほとんどで、価格も20万以上するという。このギターはそこまではいかない普及品だが、作者は庶民的な人物ながらなかなかの名工であるらしい。スタジオ・ジブリのアニメ「耳をすませば」で取材を受けた工房だという。この訪問記や、この手記を読んで好感と興味を持った。

 このギターは、その工房でお弟子さん達が作った物だろう。材料もサイドやバックは合板だ。でも以前持っていた安物とは比べものにならないくらいよく響く。特に低音が大きく違う。中音がちょっとものたりないが、高音は十分きれいだ。もちろん音程は正確。そして軽い。軽くて弾き易いので、つい手にとって弾いてしまう。大きな深い傷が一ヶ所あるのが残念だが、概ね満足した。

 子どもの頃からギターを弾いているが、恥ずかしい話、クラシックの曲でまともに弾けるのは、「禁じられた遊び」とソルの練習曲「月光」ぐらいしかない。もともと器用でない上に、楽譜通りやるのが性格的に苦手で、何でも勝手に弾いてしまう。だから歌の伴奏だったら適当にそれらしくやれるけれど、決まった曲がまともに弾けない。

 そこで古い楽譜を引っ張り出した。前にやりかけてやめた跡が残っている。せめて初心者の定番、タレガの「ラグリマ」と「アデリタ」だけは弾きたいと思っている。

by pororompa | 2006-11-03 14:05 | こころの糧 | Trackback | Comments(0)