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semスキン用のアイコン01 クロチャンの話 semスキン用のアイコン02

  

2006年 02月 26日

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 廊下で大きな声がするので何事かと思っていると、我が家の飼い猫のクロチャンが大きな鼠を捕ってきていた。ゴロリと放り出したその鼠を見れば、もうすでに死んでいる。

 このクロチャンという猫は、変わった猫が多い我が家の飼い猫の中でもひときわ変なやつである。もちろん鼠を捕ることはちっとも変ではない。それどころかもっとも猫らしい行動だ。何が変かというと、この猫は極端に臆病なやつで、飼い猫のくせに外の野良猫よりなつかない。撫でようとすると首をすくめるし、膝に無理やり乗せても全身をコチコチにして耐えている。10年も飼っているのにこんな風だ。一度は、風呂場の外で「入れてくれ」と鳴くので開けてやったら、勢いよく跳び込んできたというのに、ぼくの姿を見るや否やそのままUターンして出ていったことがあった。あれにはさすがにムッとした。

 もっとも、娘なんかには寄って行くという話だ。あまり恐さを感じないのだろう。狩が得意なことといい、野性的な猫なのかも知れない。小柄な牝なのだが、こいつにかかると鼠などはひとたまりもない。ずっと猫といっしょに生活していると、生きた鼠が走り回る姿を滅多に見ることはないが、そう言えば鼠という生き物がいたんだとこのクロチャンが時々教えてくれる。

 猫嫌いの輩は猫を迷惑かけている役立たずのように言うけれど、猫は昔から実用的な動物だったし、今も実はそうなのである。可愛いだけでは犬と並んで人間の側で生き抜いてこれない。猫がいなくなれば思い知るに違いない。そこらじゅうで鼠がもたらす被害は猫の比ではないだろう。

 この猫は、元祖我が家猫のピンコの子どもである。上の写真は10年ぐらい前、生まれた年に写したものだ。一番左でぼくが抱いているのがそうだ。黒というより焦げ茶色だ。うちにはもう一匹、クロスケというまぎらわしい名前のがいるが、このクロチャンが生まれた時には、唯一この猫だけが黒っぽい猫だったのである。

 クロチャンで忘れられない出来事がある。子猫が2階に上がらないように階段の入り口に高さ1mぐらいの扉を付けようとしたことがあった。まあぼくも久しぶりに猫を飼ったので、今思えばやつらの野性的な能力を過小評価していた。板と蝶番を買ってきて、不慣れな日曜大工で作り、ようやくできあがったと思ったその時である。まだ可愛いクロチャンが、よちよち歩きのようなこの小娘が、あざ笑うように、実に軽々とその憐れな工作物を跳び越えたのである。完成してほんの数秒後だった。それ以来、その事件は「お父の浅知恵」として我が家で物笑いの種となったのである。猫恐るべし。

 この猫はもう一つ必殺技がある。それはドアのハンドルを手で回して開けるのである。正確に言うと、両手で鉄棒のようにぶら下がりドアを開けて入るのである。家族全員部屋にいる時、外から最初これをやられた時は恐かった。凍るぜ、一瞬。「ガッチャン! ギー…」「えっ!!だ、誰!? みんなここにいるのに…」 殺人犯でも侵入したような、ホラー映画的恐怖感を味わわせてくれたのがこのクロチャンである。

 家族全員が数日留守にする時、この必殺技を出されると本当に困った。入ってはいけない部屋に入るのである。そこで「ネコカギ」なるものが考案された。ただドアのハンドルにひもを結んで上から吊っただけのものである。これは今のところ破られていないので、「浅知恵」と嘲笑されることはないが、いつかクロチャンがハンドルを重量挙げのように持ち上げたり、ヘディングかなんかで突き上げる技を考案するのではないかと心配になる。

 こういう技ができるということはよほど頭がよいのかと思っていたが、不思議なことにどの猫でもできそうな引き戸を開けることができない。しかしそこはそれ、猫の世界もうまくできていて、「ガッチャン」ができないピンコが簡単に引き戸を開けるから、連係プレーでどの部屋にも入りやがる。猫の社会も分業化だ。

 それに、我が家では「馬鹿猫」扱いのクロスケまでが「ガッチャン」をマスターしたので、この技は猫界ではさほど難しくない技なのだろうということになった。誰も「クロスケも賢い猫だったんだ」と言う者はいわなかった。一応クロスケの名誉のために書いておくと、それは背伸びして片手を伸ばし、ガシャガシャとハンドルを動かして開ける技で、独自に修得したような感じがしたのだが。

 まあ猫は個性的だし、何年飼ってもよく分からないところがある。猫侮るべからずだ。

by pororompa | 2006-02-26 17:38 | 駄猫列伝 | Trackback | Comments(4)

semスキン用のアイコン01 NEIL YOUNG / HARVEST semスキン用のアイコン02

  

2006年 02月 25日

e0006692_21423073.jpg CDが普及したのは、決して音の良さではなくて、扱い易さからだったとぼくも思う。この高校生の頃から馴染んだ作品をCDで手にしてみて、トレイに乗せながら、あらためてそんなことを思った。

 このアルバムを初めて聴かせてくれたのは、高校生時代のギターの得意な友人だった。今でもはっきり覚えているのは、1曲目の"Out of the Weekend"のギター・コードとハーモニカの絡みである。それを教えられるままに音にした時のことだ。どうして「ソ」や「シ」だけの小節にAmなのか、当時の僕にはよく分からなかったが、音を聴くとまさしくその通り、ぴたりとはまっていた。

 この、ゆったりとしたテンポに、ドンドンと頭から連打する独特のバス・ドラムの音を聴くと、しばらくは耳から離れなかったものだ。ギターもこのまねをして弾いていたために、手首が固まったような弾き方の癖が付いてしまったほどだった。

 CS&Nから入った当時のぼくには、ニール・ヤングは最初は異質に感じたものだが、「デジャヴ」の「ヘルプレス」を聴いたりしている内に、しだいにこの声にはまっていった。ずっと後、30代のオヤジになってから聴き直してみると、この人が作品の質量とも別格の人だというのがよくわかった。こうして50を前にしても感動を提供してくれていることは感慨深い。

 余談だが、最近ある人の結婚式でこの友人に会った時に、今でもギターを弾いているかと尋ねたら、「この後これから練習。」と即答したのが印象的だった。親父バンドでロックしていた。
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by pororompa | 2006-02-25 22:13 | 音盤的日々 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 二、三の曲想 semスキン用のアイコン02

  

2006年 02月 19日

 花粉症のこの時期の休日は引きこもり状態である。この頃はギターをまた弾き始めたり、シンガー・ソングライターの作品を聴いたりしているので、ものを創る頭にはなりかけている。

 今日の午後は、まあ仕事といえば仕事だが、クラスの子どもが書いた詞を手直しして、簡単な曲を付けてみた。ギターに強い興味を持っている子が二人いて、その子らが学習発表会でギターを弾いて歌うというのだ。しかも一人は自作曲を書こうという気でいる。小学5年生のギター弾き語りによる自作自演なんて聞いたことがないので、ちょっと面白いかなと思ってその子が書いた詞を見た。

 ツー・ストライク、スリー・ボール
 九回裏ツーアウト
 待ったなしだぜ ラスト・スパート
 打たれりゃ負けだぜ

という感じのなかなか面白い着想の詞だったので、彼らが弾けるコードでちょっと味付けしてやったら、昔のアリスみたいな感じになった。でもしばらくやっていたら気分が悪くなってきたので、細かいところは彼らの歌い安いように歌わせてみようと思って、今日はもうやめた。

 その後、先週浮かんだ歌を少し進めてみた。「思い出せない歌」というのである。ブログに書いた、どうしても思い出せなかった歌から思いついたフレーズである。これをちょっとしたストーリーに仕立ててみようかと思うがなかなか進まない。こんな歌い出しである。

 思い出せない 思い出せない
 いつもあの子が歌っていた

 その後、「何が残っただろう」という、水害をモチーフにした歌が思いついたのでメモをしておいた。両方とも、苦い味の歌というか、大人の歌である。こういう歌を作っても、歌ってくれる人がいないだろうなと思う。そういう虚しさはある。子どもの歌みたいに需要がない。

 それにしても、さすがに低学年を離れると、子ども向けの明るい歌は浮かんでこないものだ。単に才能の問題かも知れぬが。

by pororompa | 2006-02-19 21:30 | 歌が生まれる時 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 もっと動きを ≪国際親善試合 日本2-0フィンランド≫ semスキン用のアイコン02

  

2006年 02月 19日

 毎週のように代表戦が見れるなんて幸せだねえ。たとえどんな試合でも。

 今日の相手はフィンランド。たいていのヨーロッパの国はワールド・カップに出てきているんだが、この国は記憶にない。それでもけっこう強かったりするのがヨーロッパのサッカー界。でも今日の相手は全然迫力がなかった。

 その相手に前半ほとんどシュートらしいシュートがない。久保も動かんし、小笠原とか何してんだ?と思っていたら、後半決めたのはその二人だった。その殊勲は認めたいけど、もう少し動きが欲しいなと思う。

 まあ、ぼくにとってはこの試合は小野伸二。小野を楽しく見る試合。ヨーロッパから帰ってくる時はファンサイトなんかで大騒ぎだったが、ぼくも複雑な気持ちだった。このデリケートで愛すべき天才選手の才能が美しく開花するのを期待して、いつもはらはらしながら祈るような気持ちで見ている。その意味でこの試合は、快復しつつある伸二の姿を90分間見ることができたうれしい試合だった。それに尽きる。

by pororompa | 2006-02-19 11:20 | TVサッカー観戦記 | Trackback(4) | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 DAVID GRISMAN & TONY RICE / TONE POEMS semスキン用のアイコン02

  

2006年 02月 18日

e0006692_22593952.jpg 急にニール・ヤングが届いたのでそちらを先に書いたけど、今週はこのアルバムと、それから先週末にジャズ・スタンダードの楽譜集を買ったのでエラ・フィッツジェラルドをよく聴いていた。

 ギターを弾くと、いつもこのアルバムが聴きたくなる。「TONE POEMS」。ギターとマンドリンだけのアルバムだが、いつ聴いても深い安らぎと満足感が得られる素晴らしい作品である。もともとは友人でギター・マニアだったKさん(故人)に奨められたのだが、最初ジャケットが何となく駄作っぽい感じがした。副題に"The sounds of the great vintage guitars & mandorins"とあるように、楽器マニア向けの作品のようである。曲ごとに古い銘器を取っ替え引っ替えして弾いており、ブックレットはそれが全部写真入りで詳しく解説してある。ぼくは楽器にはそれほど執着しないので、フーンという感じで眺めただけだった。
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 ところが演奏を聴いて驚いた。これは何のジャンルに入るんだろう。マンドリンのグリスマンという人は、ジャズっぽいプレーもやるらしいが、もともとブルーグラスの人で、ここでは親しみやすいアメリカン・フォークソングなんかを中心に演奏している。古いギターやマンドリンをいたわるかのように、しみじみと、実にしみじみと語りかけてくるのだ。「おじいさんの古時計」とかやってくれるが、これがまた絶品なのである。「オー・ソレ・ミオ」なんてのもやっている。ジャンルなんてどうでもいいんだね。とにかく気持ちのいい演奏だ。これをかけて薄明かりでコーヒーでも飲めば、とたんに幸せな気分になれる。

 ぼくがこれが欲しくなって、CDNOWという海外サイトから通販で手に入れた。今では日本語表記の某大手で何でも簡単に買えるが(CDNOWもそこに吸収されてしまった)、当時は英語に悩みながら海外サイトから直接買ったものだった。楽器マニアだけではなく、誰にも聴いて欲しい名盤中の名盤である。
e0006692_22234985.gif 試聴

by pororompa | 2006-02-18 22:23 | 音盤的日々 | Trackback(1) | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 NEIL YOUNG / COMES A TIME semスキン用のアイコン02

  

2006年 02月 18日

e0006692_15173496.jpg 水害で駄目になったLPはジャズ以外のジャンルのもので、ロック系やフォーク系が主だった。ニール・ヤングは昔からファンだったこともあって、CDではなくLPで持っているものが多かった。その中でも特に聴いたアルバムがちょうど今安くなっていたので、3枚まとめて注文した。「After the Gold Rush」 「Harvest」 「Comes a Time」の3枚である。どれも愛着の深い作品だが、 「Comes a Time」は水害に関係なくCDでも買おうと思っていたので、まずはこれから書こう。

 まずCDを手にしてがっかりした。元のLPにあったジャケットの味わいがまるでない。まあCD化すればそうなるのは当たり前だが、それにしても壁にかけてもさまになっていたあのジャケットとは思えないほど、インパクトがまるでなくなっている。

 音はどうかというと、音はそう悪くない。でも一緒に買った2作はかなり悪かったので、まあ時代がちょっと古いこともあるし、マスター・テープの保存状態やデジタル化した時の技術の問題なんかもあるのだろうと思った。

 ぼくがニール・ヤングで完全に5つ星だと思うのは、今回買った3枚と、「Tonight's the Night」、「Freedom」。他にも、それに近いものが何枚かある。多作で、アコースティックからヘビーなものまで振幅の激しい人だが、ぼくは元々ロック嫌いだからアコースティックなものの方が好みだ。もちろんこの人のハード・ロックは一味も二味も違うからエレクトリックなものも聴くことは多いけど。

 このアルバムはアコースティック主体で、ちょっと軽いかなと思う部分もあるが、何度も聴きたくなるような親しみやすさがある。ルーズが持ち味の彼としてはわりとタイトに作られていて、爽やかな印象だ。

 ラストに、自作曲でないモダン・フォーク・ソングのスタンダード「風は激しく」が出てくる。ニールと同じカナダ出身のイアン・タイソンの曲だ。季節労働者のことを歌ったと言われる。歌詞の意味はよく分からないが中学生の頃ギターで時々弾いていた。ニールのカヴァーを聴いた時は驚いたが、このラスト・ナンバーがなかなかにいいのだ。

 さて、これでいつでもこの 「Comes a Time」が聴けるようになった。なんとも嬉しいことだ。次はあの重たい「Tonight's the Night」が聴きたくなってきた。
e0006692_1642846.gif 試聴

by pororompa | 2006-02-18 16:04 | 音盤的日々 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 つらい季節 semスキン用のアイコン02

  

2006年 02月 14日

 花粉症の季節が始まった。休みに病院に行っておくべきだった。寒かったので油断したが、2月中旬のこの時期には必ず始まる。

 病気と健康の中間のような感じである。涙が出てきて頭がぼうっとしびれる。ものを考えたり動いたりするのがおっくうになり、憂鬱だ。くしゃみは独特の激しいくしゃみが連続し、腰が痛くなるほどだ。目薬・鼻薬・飲み薬の3つがあれば何とか乗り切れる。早く病院に行かねばなるまい。

 花粉症の鼻の症状は、くしゃみ・鼻水・鼻づまりのどれかを繰り返す。どれが一番楽なのだろうかと考えた。

 くしゃみはさっき書いたように、全身を揺さぶるような激しいものだ。こいつに連続して襲われるとぐったりする。それに運転中が恐い。花粉症で交通事故という話は聞かないが、十分あり得ると思う。

 鼻水は次から次にだらだら流れてくる。ティッシュはすぐ空になり、ゴミ箱は山。鼻は摩擦で痛くなる。

 それでは鼻づまりはというと、これがまたやっかいだ。一番恐いのは眠れなくなることだ。花粉症への対策がないころ、びっしり詰まって夜中に死ぬようなつらい目にあった。

 結局どれもつらい。4月半ばまで調子が悪い。死ぬまでこれが続くのだろうか。一時趣味になりかけていた春の園芸も、これでやる気を無くした。特効薬がほしい。

by pororompa | 2006-02-14 19:31 | 日常雑事 | Trackback | Comments(4)

semスキン用のアイコン01 忘れていた歌 semスキン用のアイコン02

  

2006年 02月 12日

e0006692_2153087.jpg どうしても思い出せない歌があった。高石ともやとナターシャセブンの歌だ。水害で浸かって捨てたLPの中に入っていた。歌詞もメロディも、歌の題さえも思い出せない。それでも、「私に人生といえるものがあるなら」と、「柳の木の下に」と、もう一つ、カーター・ファミリーを訳した歌でよく歌っていた歌があるはずだ。気になって仕方がなかった。

 考えてみると、LPは捨てなくてもよかったかも知れない。ジャケットはダメでも盤は洗えば聴けただろう。それは捨てる時も思ったけど、泥水にまみれた盤を見たらそんな気にはなれなかった。でも今思い返すと、中古で集めた「107 SONGBOOKシリーズ」などの貴重な音源があった。

 その歌を、インターネットを使って今日やっと見つけた。「今宵恋に泣く」という題だった。歌詞を見たら確かにそうだ。でもそんなくさい題名だったっけ。最近の物忘れの激しさには自分でもちょっと恐くなる。教えてくれたのは、このページだ。高石ともやが訳詞しているという歌詞は、こんな歌詞だった。

 この世であなたと私 会わなけりゃよかったの 
 愛し合った昔を 私は忘れないの

 今夜もあなたのことを 思い出しています
 遠い街であなたは 私を思うかしら

 題名も演歌みたいだが、歌詞もまるで演歌だ。ところがメロディは異様に明るい。ドミソ、ファラドの世界である。アメリカ民謡にはこんな感じの歌が多い。ぼくは勝手に「アメリカ演歌」と呼んでいる。スイカに塩をかけたように、悲しさと明るさのコントラストが、独特の雰囲気を作り出す。演歌もそうであるように、曲の作りもいたってシンプルである。8小節しかない。短くても簡単でも、いい歌はいいものだ。

 この歌であと2つ印象的なことがある。ハ長調で言えば「ソソソードレミーファミレーラー」という歌い出しの「レーラー」という部分が、Fになっている。こういうカントリー調はだいたいC・F・G7でほとんど間に合うのだが、Dmを思わせるメロディでもやはり「F」。そこがなんとも言えずいい。もう一つは、メロディの跳躍。「ララソーファレソファミレドー」という最後のところで、レから低いソにぐっと落ちて、またオクターブ近く高いファに上がるところが好きだ。調べてみたら、原曲(I'm Thinking Tonight of My Blue Eyes)はちょっと違っているけど、ナターシャセブンの歌い回しの方がいい。シンプルな歌に深みを与えていると思う。

 メロディの跳躍と言えばぼくは「白銀の糸」というアメリカの歌を思い浮かべる。それから、スピッツの「ハチミツ」の歌い出しの激しい上下動。ぼくも自作曲「美しい十月」で「うつくしい~じゅうがつ~」というところに意識してメロディの跳躍を使った。

 ともあれ、好きな歌を思い出してうれしい。今日はこの歌ばかり歌っていた。

by pororompa | 2006-02-12 22:49 | こころの糧 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 弱かった昔を思い出したよ ≪国際親善試合 日本2-3USA≫ semスキン用のアイコン02

  

2006年 02月 12日

 なんちゅうかねえ…。どうしようもなく弱かった昔を思い出したよ。前半戦。自陣に封じ込まれて、パスは全部取られる。シュートは雨あられ。少年サッカーの試合みたいな。このままなら、0-5ぐらいかなって思った。最後に帳尻は合わせたけど。

 この試合は本当は昼の1時くらいからあったらしいんだけど、録画放送は夜の9時から。それでも放送されるだけマシなので、文句は言えない。ただ、情報を遮断してじっとしとかなくちゃいかんところがつらい。YAHOOも開けんようにしていたんだが、蓋を開けてみたらこの展開で、どっと一日の疲れが出た。

 まあでも、今のアメリカはかなり強いのは間違いなさそうだ。始動したばかりの日本代表に比べて、できあがってる感じもした。それに、川口の言うように、「相手は野球場で試合するのに慣れている」というのもあるのかも知れない。

 後半出てきた控え陣は、さすがに後がないだけあって気合いが入ってたな。まずは巻。追いかける、追いかける。佐藤もがんばっていたし、病み上がりの久保のワントップから、2匹の元気な犬のように走り回るFWに代わって、がらっと雰囲気が変わった。今日の試合を見て、巻はひょっとしてW杯メンバーに滑り込むかもという気がしてきた。かなり株を上げたと思う。「技はそれほどでもないが、ひたむきに走る」とジェフのオシム爺ちゃんも評していたけど、爺ちゃんに鍛えられた成果が出た。

 それから阿部。この人も爺ちゃんに鍛えられてたくましさが増してきた。いずれCBに下がって、加藤~井原~恒さんと続いてきた知性派CBの系譜を継いでほしい。フリー・キックもあるしね。有力。

 長谷部もなかなかいい。自信持ってドリブルしてるし、小野ばりのスルー・パスを通していた。競争率高いポジションだけど、欧州組が怪我したらお呼びがかかるところまで来ていると感じた。

 あと、加地君。この人、なんかこの頃イメージが変わってきた。勝負しかけるし、シュート打つし、アシストも決まる。精進が実ってきたという感じ。努力の人か。

 逆に、もう交代の時期かなと思うのは、小笠原と本山。可哀想だけど、松井や長谷部と代わる時期にきていると思う。

 DFは安心できるのはボンバーぐらいで、田中も恒さんも、まあ多分選ばれるだろうけど、世界に通用するかどうかは厳しくなってきている。

 久保は回復次第かな。小野はやはりさすがだ。がんばる選手ばかり並べても、小野が抜けたら平凡なチームになってしまう。

by pororompa | 2006-02-12 00:18 | TVサッカー観戦記 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 生き残ったギター semスキン用のアイコン02

  

2006年 02月 11日

 前回もそうだったのだが、創作交流集会から帰ってきて実は一番気になっているのがギターだったりする。師匠の園田氏のナイロン弦ギターが実にいい音しているのだ。大体ぼくはいい楽器とかにはあまり執着はないし、どっちかというと「違いが分からない男」だから、安いギターでも特に不満はないんだが、このギターは弾かせてもらった時にビビッときた。「うおっ、クラシック・ギターってこんないい音がするものか」と思った。今回は水害で安物クラシック・ギターが壊れた後だったので、よけいに心に響いたね。

 中のラベルを見ると「ICHIYANAGI」と書いてあったので、早速帰ってネットで調べてみると、なるほど、手工ギターで安くても30万円はする。この手の手工ギターはみんな30万が最低ラインだ。今、二人の子を大学にやる時期なんでとうてい手が出ないが、5年後ぐらいにはほしいものだと思った。

 5年後なんてのんびりしたことを言えるのも、今は実演がメインの音楽生活じゃないためだ。金があれば、同じ音楽関係でも、まずは壊れかけの多重録音機から買うだろう。それに、調子の悪いアンプ、水害で浸かってもまだ鳴っているスピーカー、なんてのも後に控えている。

e0006692_15161932.jpg まあ、ギターは無いわけではないしな、と思いながら、ぼくは水害で生き残ったギターを眺めた。クラシックではなく、スチール弦だ。マーチン 000M。マーチンとは言っても、一番廉価なクラスで、70000円で入手した。艶消し塗装で、飾りがほとんどなく、見た目は1万ぐらいの安物ギターに見える。小さくて軽い。気楽に使えるし、部屋で弾くにはちょうどいいギターだ。ぼくはこれをけっこう気に入っている。欠点は弦高が高くて弾きづらいことだ。だからいつも1フレットにカポをつけて弾いている。

 それ以前は、ヤマハの20万ぐらいするのを弾いていたが、音があんまり好きではなかった。それに重いし、大きい。体が小さいぼくには不格好だ。オークションで売り払って、代わりに買ったのがこのマーチンだった。そして奇跡的にあの水害で生き残ったのだ。

 ぼくは急にこのマーチンをもっと弾いてみようという気になった。乾いた冬の日はいい音がする。ぐるぐる巻きにしていた余った弦もニッパーで散髪した。そう言えば最近あまりギターで歌を作っていない。指も動かなくなっている。何事もあまりにも機械一辺倒になるといけない。 

by pororompa | 2006-02-11 15:37 | こころの糧 | Trackback | Comments(2)