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semスキン用のアイコン01 <   2005年 12月 ( 7 )   > この月の画像一覧 semスキン用のアイコン02

  

semスキン用のアイコン01 猫と寝る semスキン用のアイコン02

  

2005年 12月 30日

e0006692_9445621.jpg ようやく何も考えなくていい休日だ。猫と朝寝するなんていうのも休みらしくていい。

 猫嫌いからすると布団の中に猫がいるなんて不潔の極みに違いない。猫嫌いでなくても不衛生であることは事実だろう。不衛生の中で生きることがあんまり苦にならないので、時々猫が布団に潜り込んでいたりする。子どもの頃は猫が暖房かなんかの一つだった。

 こいつはクロスケ。おとなしくて扱いやすいやつだ。欠点はくしゃみをすることで、「ハクション大魔王」の異名を持つ。そうなるともう放り出すしかない。この頃は持病も収まってきたらしく、おとなしく寝てくれるようになった。

 布団の中で人と寝るのは、猫にとっては最高に幸せな部類だ。この寒い中で、「アンオフィシアル・キャット」である外猫たちは、段ボールで寒さをこらえている。入れてやりたいが、モスという大猫は縄張りを主張して小便をかけまくるので出入りを禁じられた。シンチャンという猫は寒さの酷い時だけ洗面所の棚の上で寝せている。温かくなると住み慣れた戸外へ出ていく。この2匹は我が家の周りに常駐しているので非公認猫から半公認猫ぐらいに格上げされて、段ボール製の小屋をもらい、それなりに適応して生きているが、その他のたまに来る野良猫たちはやはり寒さはこたえるだろうと思う。

 ここまで書いてふと高田渡が歌っていた「生活の柄」を思い出した。「歩き疲れては 夜空と陸との隙間にもぐり込んで」と歌うその詩は、沖縄出身の詩人、山之口貘だ。今で言えばホームレスだ。「この生活の柄が夏向きなのか 寝たかと思うと冷気にからかわれて」とはまさしく外猫たちである。自由気ままな生活も、冬がなければ悪くないのにと思っていることだろう。

 昨夜も冷えた。寒い夜を猫と布団にくるまって寝るというのは、やはり人生のささやかな幸福の一つなのである。

by pororompa | 2005-12-30 10:40 | 駄猫列伝 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 LINDA RONSTADT, DOLLY PARTON & EMMYLOU HARRIS / TRIO Ⅱ semスキン用のアイコン02

  

2005年 12月 27日

e0006692_20371794.jpg 仕事から帰ってきてすぐこれを聴いた。そういう日がある。無性にそれが聴きたくなる。今日の場合はこのCDの1曲目「Lover's Return」だ。

 原曲はアメリカン・フォークの元祖カーター・ファミリーの歌らしい。何年かぶりに故郷に恋人が帰って来る。ずっと大好きだった人。でももう昔の二人にはなれない。青春は返って来ない。"Oh no,I cannot take your hand. God never gives us back our youth"と繰り返すあたりが何とも切ない。絶品である。

 これをいずれ劣らぬ姉御3人が掛け合いで歌う。特にドリー・パートンの震え声と小節が素晴らしい。ぼくはこのアルバムでドリー・パートンを知った。元々は、エミルー・ハリスのファンだったのでこのアルバムを買ったのだが、これを聴いてドリーのファンになった。リンダ・ロンシュタットは好きでも嫌いでもないが、このアルバムはリンダのアルバムが下敷きになっているらしいから、要の存在なのだろう。そしてこの3人が絡むと、実に素晴らしい雰囲気になる。

 バックの演奏がまた最高だ。デイヴィッド・リンドレイにデイヴィッド・グロスマン。タイコがジム・ケルトナー。知らない名前のギターさんもうまい。

 装丁がまたいい。3人の子ども時代のいい写真が、効果的に、ふんだんに使われている。聴く度に温かい、幸福な気持ちになり、人生の折々に取り出して聴くアルバム。いいです。

 これは「TRIO」というアルバムの続編で、もちろんそちらもいい。
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by pororompa | 2005-12-27 21:09 | 音盤的日々 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 創作と盗作 semスキン用のアイコン02

  

2005年 12月 24日

 ある若手バンドの歌が中島みゆきの歌の盗作と分かり、発売中止となったという。子どもたちに人気の「オレンジレンジ」も、以前からネット上でいろいろと取り沙汰されている。作詞・作曲が当初は本人名義だったのを、途中から「キャロル・キング」にしたとかいう話だ。曲が似ているのはよくあることだしやむを得ない部分もあるが、いわゆる「丸パクリ」となると、彼らが印税として得る利益が莫大なだけに無視できない面があるのだろう。

 「盗作」は創作者としていちばん恥ずべきことだとぼくは思う。もちろん曲は無限だとは思わないし、コード進行なんかは著作権が無い。みんなの共用だからブルースも成り立つ。かのベートーベンさんも、「作曲とは過去の音楽の再構成である」とか言ったとか。それでも作っている時は何かの歌に似ていないかが一番気になるものだ。もし何かの歌に似ているのに気がついたら、それから遠ざかるように遠ざかるように作っていく。似ている部分はあっても、それにどれくらい自分のものを積み上げたが大切だと思う。

 意図的な盗作は許せないが、うっかり既成の曲を創作と錯覚しているのではないかという不安はいつもある。小田和正の本を読んでいたら、「簡単にできた歌ほど注意しろ」と小林亜星に言われた話が出てきた。そんな歌ほど、何かの歌である可能性が高いそうだ。小田ほどの人でも苦心惨憺してオリジナルなメロディを創作していることが分かる本だった。

 ポール・マッカートニーが「イエスタディ」を作った時、何かの歌かもしれないと不安に思って、周りに聞かせまくったのも有名な話らしい。

 ぼくも作った後で娘やいろんな人に聞かせて反応をみているのだが、完成した後に既成曲に似ていることに気がついたものもある。一つは、「君の名前おぼえたよ」だ。日本昔話のエンディング・テーマの一つで、サビの部分の歌詞「僕の名前おぼえてね 君の名前おぼえたよ」が、作っている時は気がつかなかったが、無意識の中にあったのかもしれない。たとえ偶然だとしても、同じというのはやはりまずい。ほかにも、「ずっと友達」と似た、「ずっとずっと友達」と歌う歌もある。気がついた時、発表をやめよう思ったが、ではこの歌は価値がないのだろうかともう一度考え直してみた。残りの歌詞や全体の曲調は大きく違っている。やはり自分の創作の部分が大きいと思い、自作CDの解説にそのことを書き記す形で発表した。

 でも、全国発売になるというならどうだろう。少なくとも、専門家に相談するか、似ている歌の作者に打診するだろうと思う。

新しい物を創り出すことはやはり簡単ではない。

by pororompa | 2005-12-24 21:43 | 歌が生まれる時 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 井上陽水 「空想ハイウェイ ACTⅡ」 semスキン用のアイコン02

  

2005年 12月 09日

 いつまでも死者の影を引きずっていては生きている者も身が持たない。そうは言っても、死者は生活の折々に甦ってきては意識の端っこで語りかけてゆくのだろう。そうして「去る者は日々に疎し」の諺通りいつかだんだん遠ざかって行く。

 葬式という非日常から日常に戻ってみると、溜まった仕事であるとか衝撃的なニュースなんかが待ち受けていて、感傷に浸る暇はなかった。最初の休日である今日は、ただだらだらと過ごした。脳が洗濯されてゆくようだ。

 夕方に、以前妻が録画して置いてくれた井上陽水の「空想ハイウェイ ACTⅡ」という番組を観た。今回は再放送で、本放送の時もチラッと観ている。昔のフォーク仲間が30年後に集まったという趣向で、高田渡、三上寛、加川良、友部正人、小室等の5人がゲストで呼ばれていた。陽水も含めて、ぼくの人生にもリアルタイムで影響を与えてくれた面々である。

 高田渡は、死んだ兄貴にそっくりである。高田渡自身がこの番組の後に亡くなっていることもあって、どうしても兄貴に重ね合わせて観てしまう。番組は、ある程度時間を取って本音で語らせるので、彼のハチャメチャなイメージの裏にある、まじめで濁りのない感覚と、拘り、そして優しさがじわじわと染み出てくる。若い頃の貧しさと正義感、反骨精神。まっとうなやつはみんな左翼だった時代、高田渡の出発点もそこにあった。「声高に政治を歌うより、身近な生活を歌う」と言う中にも、やはり筋は通っていた。しょうもない酔っぱらいとなっても、ものの考え方の根底にそれは残っていた。

 加川良という人は、表面的な模倣者だったのか、この番組では一番影が薄かった。軽薄といったら言い過ぎだろうか。歌うべきものを持っていない。本人自身からもそれを裏付ける発言があり、同席の小室等が意外で残念そうな表情をしたのが印象的だった。あの素晴らしい「教訓Ⅰ」はもともと彼の作ではないのは知っていたが、少なくともその深みを理解し共感して歌っていると思っていたのに。

 三上寛は表現者としては面白いけれど、あくが強すぎて、喋れば喋るほどほかのメンバーの良いところを消してしまう。番組はそこそこ盛り上がるかもしれないが、底は浅くなる。現実にもこういうタイプの人物はいるが、しばらくその場にいるとうんざりする。もう分かったからちょっと黙っててくれと言いたくなる。高田渡がそれを言ったのがおかしかった。

 この中で陽水が一目置いているのが友部正人だろう。自分の曲で友部に詞を頼んだものがある(アルバム「あやしい夜を待って」収録の「海はどうだ」)のを見ても分かる。
 「分かる人に分かってもらえばよい」とでも言うかのように、淡々としていたのが逆に印象的だった。ここは一つ陽水も「海はどうだ」を歌ってほしかった。

 なぎらけんいちが「日本フォーク私的大全」で正しく指摘しているとおり、井上陽水の音楽はフォークではない。彼のアルバムはほとんど持っているけれど、フォークの一人と思って聴くことはない。ポップなサウンドで売れまくった陽水の歌は、高田渡と一緒に括るにはあまりにも異質だ。彼のルーツは本人も言うとおりビートルズ。ただ時代が重なったために、いっしょくたにされたのだろうと思っていた。

 けれども、今回の番組を観て、少し認識が変わった。陽水は「フォーク」の面々とただ思い出を共有しているだけでなく、精神的な部分で共感できる面をずいぶん持っているのではないかという気がしてきた。彼らの強烈な刺激が、創作にかなり影響を与えたのではないか。そんなことを感じた番組だった。

 ぼく自身にとっても、懐かしい時代を振り返らせながら、親しい者との別れで疲れた心を少しばかり癒してくれた、気持ちのよい番組だった。

by pororompa | 2005-12-09 22:35 | こころの糧 | Trackback | Comments(2)

semスキン用のアイコン01 兄 松田國弘 永眠 semスキン用のアイコン02

  

2005年 12月 04日

兄 松田國弘 かねて入院治療中でしたが、12月3日、すい臓癌にて死去しました。53歳でした。生前のご厚情に感謝致します。

by pororompa | 2005-12-04 13:29 | 松田國弘 | Trackback | Comments(3)

semスキン用のアイコン01 昏睡 semスキン用のアイコン02

  

2005年 12月 03日

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明け方の四時半。兄はずっと眠り続けている。酸素が送り込まれ、心臓の動きが表示される。命がまだ残っているなら、もう一度話したいと思った。でもそれは無理のようだ。

今夜は昨日より冷えた。寝ないで働く看護士さん達の声や足音が聞こえる。

by pororompa | 2005-12-03 04:42 | 松田國弘 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 危篤 semスキン用のアイコン02

  

2005年 12月 02日

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病室で夜が開けた。昨夜兄危篤の連絡を受け駆け付けたが、まだ今のところ心臓は動いている。しかし、癌の末期だから意識は回復しないだろう。肉体は生きているけれど、人格は死んだと覚悟した。静かな重い空気が流れている。放ってきた仕事も気になる。

by pororompa | 2005-12-02 09:19 | 松田國弘 | Trackback | Comments(0)