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semスキン用のアイコン01 【音盤的日々 241】 ザ・フォーク・クルセダーズ / シングル・コレクション semスキン用のアイコン02

  

2009年 10月 18日

e0006692_170377.jpg 加藤和彦が自殺!。しかも鬱病で創作意欲をなくし…。

 気分の落ち込むニュースである。いろいろなこと考えてしまう。

 小学校5年生で「帰ってきたヨッパライ」を聴いて衝撃を受けたぼくは、「悲しくてやりきれない」を小6で買った。たぶん「フォーク」という言葉を初めて聞いたのはその時だと思う。ぼくは小5の2月に生まれた村を飛び出して、小学校を卒業するまで、愛知県の姉の所になぜか居た。家を出たこととフォークルは関係ないけれど、そのシングル盤のジャケットはその頃の記憶と深く結びついている。

 中学生でフォーク少年となってからは、「戦争は知らない」や「青年は荒野をめざす」をギター片手に歌っていた。「悲しくてやりきれない」や「青年は荒野をめざす」が加藤和彦の作曲だということは知っていた。ベッツィ&クリスでヒットした「白い色は恋人の色」も、曲はこの人だ。いい曲を書く人だと思った。北山修の詞や歌い方は嫌いだった。端田宣彦の震えるような声は好きだったが、シューベルツを見て「軽いな」と感じた。やはり加藤和彦だ。作るメロディに品がある。声も好きだった。「あの素晴しい愛をもう一度」は、友人がシングルを買っていたのでよく聴いた。ベタッとした北山の詞の世界と、鮮やかな加藤のメロディの展開が、好き嫌い相半ばしていた。

 「スーパー・ガス」の頃までは好感を持っていたが、ミカ・バンドでロックになってから、ロック嫌いだったぼくは加藤の世界にだんだん興味を失った。その後のポップス諸作は興味は持っていたが、ジャズの荒海に突っ込んでいったので聴かずじまいだった。

 こうやって振り返ってみるとぼくは、加藤和彦のキャリアのほんの初期に影響を受けただけだ。だが、どんなに短い間でも、12歳の時に影響を受けるのは、42やと52で影響を受けるのとはわけが違う。ベースになっている音楽嗜好に深く刷り込まれてしまう。

 メロディ・メーカーだったと思う。曲を書いて歌うけれど詞は書かない人だが、持っている歌の世界がぼやけないように、作詞家の安井かずみと公私に組んでそういう所を埋めていたのだろう。近年になってフォーク・クルセダーズの歌をまた歌っているのに驚いた。そういうことはしない人だと思っていた。「若い時には当たり前のようにできたことができなくなり」とか、「やりたいことがなくなった」などの言葉が本当なら、どんな思いで昔の歌を歌っていたのか。ぼくも歌書きの端くれ、その言葉は重く響く。

 今、このフォーク・クルセダーズの古い音源を聴き返してみると、無意味な「ソーラン節」や質の低い悪ふざけのような「コブのない駱駝」など、残念ながら半分以上は聴くに堪えない駄曲だ。だが、「悲しくてやりきれない」や「青年は荒野をめざす」など色褪せない名曲が、泥の中の宝石のように光っている。
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*YouTube 「悲しくてやりきれない」 加藤和彦 坂崎幸之助
 あの名曲を、決して損なうことなく、いや、三線など添えてより味わい深く、セルフ・カバーしている。まだまだやれた人だった。

by pororompa | 2009-10-18 18:02 | 音盤的日々 | Trackback(1) | Comments(0)

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Tracked from id:siwapuri,.. at 2009-10-21 02:03
タイトル : 加藤和彦の訃報は今年いちばんのショックだった。
加藤和彦の自殺には驚いた。あまりにも突然のことで。 数年前、木村カエラとサディスティック・ミカエラ・バンドを結成したことだけは知っていた。その音を聴くことはなかったけれど、元気そうな印象だったのに。 わたしにとっての加藤和彦はフォークルやサディスティック・ミカ・バンドの中心人物というより、ソロアルバムの「ぼくのそばへおいでよ」や「スーパーガス」の人だった。実験的でアングラ。だけどポップ。飄々したたたずまい。ちりめんボイス。この得体の知れない魅力的な世界はなんなんだ。と、何度聴いても思う。「多岐...... more